渓山忌
明後日11/10のにちよう坐禅会は通常通りの開催です。作務と法事が入っております。ご朱印受けのお客様は必ずご予約の上でのご来山をお願いします。
きょう11/8は広済寺17世 花島渓山和尚さまのご命日です。
久留米で生まれ、梅林寺、建仁寺、建長寺でと修行をされ、明治の終わりに平間に来られ大田村役場の戸籍係と尋常小学校で体育の教鞭をとられながら、布教につとめられました。週末には横浜の林光寺に詰め、法務をしていました。当時、お檀家さんで沙汰があると、横浜のおてらまで電話を繋ぐのに、交換台を通してとなりますから早くて半日。ともすると丸一日かかったそうです。
昭和36年没ですからオリンピックに向けて、東海道新幹線や東名高速の建設が真っ只中の頃です。67歳は当時としては長寿だったのではないでしょうか。関東大震災で罹災した本堂から、使える柱を生かして、昭和3年に現在のものを再建してくださいました。これだけのものが描けるということは、建仁寺での修行時代に、琵琶湖疎水に関わったどなたかと交流があったと私はみています。当時の設計図は青写真でのもので、大工の人数、日数、損壊した端材の処分に至るまで詳細に残されています。この青写真があったおかげで、昭和3年に確かにこの場所に本堂があることが法的にも認められ、現在の書院千手閣の建築許可がおりた経緯があります。書院の落慶式は9年前。運用して9年経ったわけです。その直前にはご親戚の方々と50回忌を営んだのが昨日のことのようです。
不思議なことに50余年後にそのあとを継いでいる私たちも直接、間接、横浜の林光寺、京都の建仁寺と深い繋がりがあり、ありがたいことです。きょうはご命日。本堂、墓地のほうにお参りいただけたら幸甚に存じます。
因果は全て仏縁である。〜どうげん