新お坊さんの智恵袋

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きょう11/8は渓山忌です

おはようございます😃

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きょうは先先代の渓山和尚さまの命日。毎歳忌として行なっています。

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▲半鐘を叩いて

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▲法鼓(ほっく)を鳴らしてはじめます。

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臨済宗のおてらでは、お飾りのことは荘厳(しょうごん)と言います。▼

朝課に続いて毎歳忌のお経となりました!

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渓山和尚さまは佐賀県でお生まれになり幼名は文吉。久留米の梅林寺、京都の建仁寺、鎌倉の建長寺と3つの僧堂で修行をされ広済寺に来られました。入寺直後には関東大震災世界恐慌、2度にわたる世界大戦と大変な時代だったと思います。戦後になると、平日は大田村役場で戸籍課の仕事や大田尋常小学校で漢文や体育の講義をし、休日は久保山の林光寺さんに詰めていました。当時、お師家さんのおわす寺だったので朝晩は禅問答があり、日中は法務に携わっていたと伺っています。林光寺さんに行っている時に、お檀家さんの訃報があると、電話となるのですが、昔は交換士経由ですから、繋がるのに半日とか長い時間をかかったことも聞いております。

大震災で本堂は完全倒壊し、物資が無い中をあるものを活用して現在の本堂に復旧。その再建の詳細な設計図があったことから、確かにここに昭和3年から本堂があることの証明となり、書院の建築許可がおりました。大変にありがたいことでした。書院も運用してこの秋で丸10年になりました。

詳細過ぎる設計図ゆえ、ウチの建築士さんも驚いていました。渓山和尚さまが建仁寺で修行していた頃に、琵琶湖疏水は最終段階ですから、その建設関係者との出会いが京都であり、本堂再建の進め方についてアイデアをいただいていたのではないか?と私は仮説を立てています。

示寂は昭和36年のきょう。67歳でした。

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境内の菊もきれいに咲いています。

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黄味しぐれみたいでおいしそうな菊と何度か言っておりますが、、、、、

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▲コレがホンモノの黄味しぐれ。渓山さんと茶礼をしました。

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きょうは一日中このお飾り。よかったらお参りしてくださいね。

 

本堂が いつも開いてる 広済寺〜どうげん