広済寺の由来について
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きょうは由来についてお話します。
広済寺の歴史
鎌倉五山第一位の建長寺の末寺です。1353年に誕生しました。南北朝時代で、足利尊氏が実弟を殺害したり、京都の六波羅探題が終焉する頃です。
おてらを開いたのは帰山光一(きざんこういつ)禅師です。建長寺の46代目の住職をなさったのち、広済寺を開きました。帰山光一禅師は安房(現在の千葉県)生まれの方です。建長寺と円覚寺との橋渡し的な役割を担っていました。
広済寺になる以前から、伊勢原周辺の武士達の墓所になっていたと伝えられており、五輪塔、古銭、墓石かけらなどが散見されます。
本堂
現在の本堂は関東大震災で倒壊した後、17世・花島渓山住職が再建されたものです。当時としては珍しく、設計段階の行程、人工の手間、倒壊した本堂の柱の処分方法までも指示されたものでした。
☆広済寺は境内地に登記のない庫裏や公民館があったり、市街化調整区域なことなど、法律的にハードルが非常に高く困難を極めましたが、この図面が生き、この度、新書院「千手閣」建設事業において行政との折衝が順調に進むことができたのです。
新書院「千手閣」
檀信徒のみなさんが集う場になります。法事、仏事を供する場所として、本堂の機能を補完します。
寺宝
本尊さまは釈迦如来です。
伊勢原市教育委員会の調査で650年以上まえのものであることが分かっています。
開山帰山光一禅師坐像
十六善神図
3幅の掛軸になっている珍しいものです。お正月に一般公開されます。