供養のカタチの変化
だいぶあたたかくなってきました。これからは除草に追われる日々になります。墓地に入りほぼ毎日、除草やごみの回収をし、だいぶきれいになっています。ぱっと見た目にはきれいですが、いろんな問題があります。
★お墓まいりに全くこない。
★法事や葬儀をやらない(供養の放棄)
★本来、埋葬されるべきでない方が、納骨されている。
★肉親が亡くなっているのにお墓を建立しないうえに、転居先も不明。
★転居先が不明で連絡がとれない。
★本来の施主がお墓を守っていけないので、兄弟が輪番で守っている。
★亡父の供養は後妻さんが行い、それ以前の先祖を長男が行うケース。ひとつのお墓に施主がふたり存在するケース。
★「葬儀は済ませたので納骨だけを希望する」理解しがたいケース。
★後継者のいない夫婦の妹にあたる方が、継承してきたが、高齢と経済的な理由により年に1回のおせがきの供養すらも放棄したケース。
などです。
全体の約3割にのぼります。対策としては、これぞという決定打がありません。お参りに見えたとき、身内の悩みをきいてさしあげることもひとつ。できる限り供養を続けていただくお手伝いをすることもひとつでしょうか。できることをやっていくしかありません。
日々、墓地に入り、手入れをします。「こんな状態であっても、おてらさんが守ってくれているんだ〜」という菩提心を起こすことが必要だと思います。
肉親でさえも墓参に来ないお墓があります。でも、そこに眠る先祖が、「おてらさん、ありがとう。すまない〜」・・・と耳にこそ聞こえませんが、そんなご先祖さんの叫びや訴えを受けて、日々無事にじぶんが守られているような気がいたします。
供養とは、年間いくばくかの護持会費や墓地管理料さえ払っていれば、済むというものではありません。先祖への感謝の気持ち、祈る気持ちを、おはかをきれいにするという仏道の実践でなされるものです。すぐには効果が見えないけれど、墓参で心が洗われ長い目でみれば、私たちを救ってくれることなのです。
お墓をきれいにする。すべてはそこからはじまると思います。これが、日々、墓守をする理由なのかもしれません。ちなみに広済寺ではここ数年、護持会費は集めていません。墓地管理費はわたくしの就任当初からありません。でも、こんなにきれいです。
先祖に感謝し、祈る気持ちのあらわれだと思います。
どうげん