絶景湘南平&UFO写りこみ
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11月はじぶんの生誕日と祖父の命日なので、実家のある平塚へ出かけ、墓参を済ませて来ました。
▲本家では、おばが施設で療養中なので、おじに差し入れのお弁当を持って行きます。おてらの野菜をメインにおかずを入れたコンビネーション弁当です。
平塚と大磯の境に湘南平があります。箱根駅伝で平塚中継所へのズームインのときの
▲このお馴染みのアングルを撮影している地点だ!といえばおわかりいただけるでしょうか?
ここ何年かで観光特化とすべく魔改造を行ない、目を見張るスポットとなりました。ご覧ください。展望台やテレビ塔に登らなくても、じゅうぶんにハイスペックなこの眺め。
▲あっ🤭見つけちゃった。
Liveで撮影したのですが、竹とんぼのようなものが映り込んでいます。
▲鳥ではないですよね。
てっぺんの平たい部分からちょっと下の外周の木々を大胆に伐採してしまったのです。相模湾側を見ると、眼下には直接海が飛び込んでくるので⋯
▲異郷の地にいるかのよう。例えば韓国の人が、決して行くことができない北を見られる展望台から、それを思うような雰囲気なのです。昔は木々があったのでいかにも公園から海を眺める感じでした。この差はデカイし、いまのほうが遠近と立体感が出ますね。でも太平洋戦争中はここは千畳敷と言われ砲台の発射台だったから、これくらいさっぱり何もなかったのかもしれません。祖母は兵隊さんにおにぎりを作らされたとよく話していました。戦後になって神奈中が静岡の日本平に倣って開発を進めました。実現はしませんでしたが頂上と大磯駅を結ぶロープウェイ🚡の計画もあったようです。
▲手前は大磯の街並み。うみの向こうは大島です。
▲コンクリートは展望台のレストハウス。子供の頃はドライブインみたいな店で、トイレも臭う汲み取りの汚いものでした。小学校や子供会のハイキングといえばここですが、強制的に歩かされて苦痛だったので、
はやく自由になりたいと思っていました。
テレビ塔に登ってみましょうか。愛の南京錠は全てなくなっていました。発端は湘南平でしょうが、新世界のジャンジャン横丁にもありましたね。そういえば通天閣もテレビ塔なんですよね。
▲私の生まれた昭和42年はひのえうまの翌年。前年のバースコントロールを掛けたのが解かれるので人口が多いのです。眼下に通った学校が見えます。平塚は急激なベッドタウン化で団地ができ、小学校は3年まで造成中の団地を通学路に旭小学校へ。4年からは勝原小学校へ強制分離。山城中学校は2年の夏休み明けで、クラスの増設とこの時期でクラス替え。木工室は木槌で壊すわ、授業にはならないわ、荒れ狂っていました。はやく自由になりたい!と思っていたものです。
小さな展望台に来てみました。
▲伊勢原町ってあるのが懐かしいですね。
▲一緒に眺めていた老夫婦さんが、「あら飛行機が飛んでる」と言うのを聞いて、ああきれいだとカメラにおさめたものです。
その右下、横にはまた点。ここで眺めていた時は、カラスや他の鳥の声もしたので気にもとめなかったのですが、戻って写真の整理をしていたら⋯
なんということでしょう?
▲また写りこんでいました。
日産テクニカルセンター、第二東名、東海大学病院までもよく見えます。湘南平の真北、直線距離で14kmが厚木市森の里。かすかですが、かつてあった青山学院大学厚木キャンパスの一部も湘南平から見えていたのです。
その、通称、厚キャンをモチーフに、私が作庭したのが、たぬきの学校。広済寺の箱庭にあります。
おすすめの絶景湘南平。よかったら行ってみてくださいね。
いい気晴らしと視力回復訓練になりました。〜どうげん