コロナ禍でみつけた法則性
おはようございます。
▲外のお地蔵さんです。六地蔵を取りまとめる班長さんです。COVID-19退散を祈願して唐草模様のマスクを掛けてみました。
マスクをいただいたのは丹沢そばさん。そのお店では毎月、地元の大社長さんたちと異業種交流会があります。その時は、店内でなく、テラスのほうを使います。
▲食事はめいめい皿になりました。焚き物、揚げ物、枝豆などのおつまみがいろいろあって美味しいんです。
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コロナ禍で、消費者である我々もマスク着用が当たり前になりました。バス・電車など公共交通機関は、窓開けをしてほぼ通常通り動いています。スーパーは手指の消毒を置いたり、レジのシールド、距離開けの表示で、これもほぼ通常通りの営業です。郵便局、銀行、他お店はそのようです。専門学校や葬祭ホールでも、私たちにも検温を求められます。声をあげての応援や歌がタブーですから、お檀家さんとのお経の唱和も控えています。何か、ひとつでもふたつでも対策をして、通常通りに動いているのを見ますね。
ケータイショップに行くと、これまでフリーだったドリンク。これらのサーバーは使えないようにしてありました。斎場のトイレで手洗いの温風乾燥機も止めてありました。飛行機での機内サービスも多分そうじゃないでしょうか。お客様が自らお金を払って、飲み物や食べ物やサービスを求めるのはいいのだけれど、好意として提供すると、拒絶したり、自粛モードに変わって、いろんな意見が出てしまう。⋯それゆえに控えている。そんな傾向があります。
広済寺では前回、春のお彼岸でそうでした。お茶をお出しするといろいろです。
・従来通り、召し上がる方。
・マスク着用でお茶はないだろう。手指が湯呑みに触れる。ペットボトルならば良い。
・小袋に入ったとはいえ誰が触ったかわからないとされるから、そう言われる前に箱のまま渡す。
・「間隔を空けて」とお願いしても家族だけだと、空けない。あとから他人が来ると、クモの子を散らしたように去ってしまう。消毒している姿をみれば、バイキン扱いするのかとも言われかねない。席を誘導するだけなのに負担が多い。そんな方もラッシュの電車には乗るし、スーパーでの買い物は普通にしているはず。解せない。
ということで、コロナ禍では、煎茶の🍵出すのをやめて、ペットボトルでのお渡しか、お菓子のみ渡してお帰しするように変えています。
要は
①お金を払って、自らが対価として求めるものだから、レストランや飲食店へ行く。→マスク着用など制約はあるが、一定のルールのもとで従来通りで良しとする。
②お返しの一環として、無料での飲食やサービスになるものは、意見が極端に分かれてしまう。→受け入れる側がお客様の個々の対応に非常に苦慮する場合が出てくる。
こんな法則性を見出してしまいました。
ということで、秋のお彼岸の受け入れは、湯呑み出しをしないで、お菓子の返礼でいきます。よろしくお願いします。
いつも経済学で考えています。〜どうげん