おてらなのに神社?がある?!
こないだは春一番。きょうも風が強いので、本堂の扉を締めています。
先日の春一番では、トイレとか風呂場は、普段から、網戸にしてあけてあったので、土ボコリと砂まみれになっていました。
お地蔵さんも、お帽子があさってくんの方向になったり、ご本山さんからいただいた合掌一礼の木札が飛ばされていました。
お地蔵さんの隣にある石仏たち。道しるべは道路の改修で広済寺に引っ越してきたり、元はお墓にあったものを移した石仏とお宮さんがあります。
「えっ。広済寺っておてらでしょ。なんで神社があるの?」
一番、右がお宮さんでして・・・・・
↓「大神宮」ってありますよね。↓
石碑の刻印は水をかけると見やすくなります。写真にしてデジタル化すれば、さらによく見えるんです。
右側には・・・・・
明治15年に龍州和尚さんの代(14世)に建てたとあります。
左側はこんな感じです。
この頃、伊勢原市は大住郡でした。信徒さんのために建てたとあります。
臨済宗のおてらの朝のおつとめには、火徳諷経回向(かとくふぎんえこう)というのがあります。火事や盗難などの災いが起こらないようにする、いわばお祈りです。
その中で、伊勢神宮、稲荷大明神など神様が登場します。おてらさんによって、富士山の浅間大権現、秋葉大権現、金比羅大権現、弁財天をおよみすることもあります。広済寺では、2代まえの渓山和尚さん(17世)が残された回向を種本にしているので、お伊勢さんとお稲荷さんです。
おてらの伽藍や境内を守る神様が鎮守さんです。広済寺はお稲荷さん。ご本山の建長寺さん、そしてうちの法類の普済寺さんでは、半僧坊さん。みなさんの知っているおてらさんの鎮守さんはなんでしょう?