新お坊さんの智恵袋

どうげんが毎日発信〜きょうの広済寺・住職の予定情報をいちはやく!

「食」がカラダをつくる!

 建長寺での外国人の方への坐禅研修のようすです。年6回の定例のほうは、最後にお抹茶での茶礼(ティータイム)になりますが、個別の受け入れの場合、食事をいただくための作法も学んでいただくことがあります。赤いお椀にのっているのは、ごはん、建長汁(けんちんじる)、酢の物、野菜のてんぷらなど、生臭ものを使わない精進料理です。

食事の前のお経を読み、ちりとりのようなものをまわします。これは「ざばき」といい、じぶんがいただく前に、数粒の米を集め、鳥や獣にやることで、飢えに苦しむ人をも救うという意味が込められています。

さて。みなさん箸は使え、お食事も進むのですが・・・

 さんざん箸をつけまわして、かじるでもなく、そのまま残してあったりもします。なすの素揚げやてんぷらなど、グロテスクなのでしょうね。見たことがないものは、実際に甘いのか、辛いのかわからないのでしょう。パンが主食の方だと、「ごはんは重く感じて食べられない」といいます。残さないで食べる。周囲を見ながら、さっさと食べ終わるようにする。私たちならあたりまえのことが、できないことが起こります。
 でも、じぶんが7年前に、はじめてハワイに行ったときどうだったか?現地の家庭におよばれされました。一生懸命に、ビーフをマシンで焼いてくれたり、いろいろなおかずを運んできてくれるのですが、食べられませんでした。ビーフは硬くて噛み切れない。甘い、酸っぱい、しょっぱい、辛いが同時に混合した、はっきりしない味について行けず、舌が悲鳴をあげてしまいました。日系のとんかつやが一番おいしく感じられました。だから鎌倉にやってきた方が残すのも、無理もないと思います。
以前、世界仏教徒会議が東京で開催されたとき、バイキング形式のビュッフェに入ると、菜食主義の方の野菜だけのおかずのコーナー、ムスリムやヒンズーの方のための豚肉なしの表示などがありました。どれを食べてよいか、悪いかは、文化や習慣で大きく変わります。じぶんが思うあたりまえは、そうではないのです。

 仏教会などでの札所巡礼では、檀信徒さんやご老僧がたのご引率をお手伝いすることがあります。どうげんといえば「事務屋!」のイメージが強いのか、「あいつは勘定と実行が速い」とみなされてしまうのか、こうした幹事役は、たぶん200回を超えるでしょう。行った先の味を振り返ってみます。あくまで私の主観なので、なにとぞご容赦ください。
★北海道・・・じゃがいもをふかしたものなど野菜をいただいたが、甘味や柔らかさは伊勢原のもののほうがおいしいと思った。ほっけ、めんたいこなどの海産物はおいしかった。
★東北・・・八戸は、いか、ほっけ、めんたいこがおいしい。秋田は地鶏のだしでたべるきりたんぽがおいしかった。福島市は県庁所在地なのに、土地の名産をだすようなお店がない。夜もはやい。山形や秋田は稲庭うどんがおいしい。
★関東・・・群馬はうどんがおいしい。桐生には桑のはっぱ入りの緑のうどんがある。館林うどん、手振りうどんがおいしい。千葉の銚子は魚。茨城は納豆。
★関西・・・関西はうす味というのは刷り込まれたイメージ。赤だしなんか関東と同じくらい、じゅうぶんしょっぱい。汁ものが白や透明だから、なんとなくうす味っぽく感じているのではないだろうか?醤油がさしみ醤油みたいで甘い。
★岐阜・・・うなぎのかば焼きがみたらし団子のような甘辛な味付け。
★四国・・・関西に似ているところもあるが、どこか甘辛な味付け。徳島ではお寿司にツマとしてすだちがでる。
★九州・・・鹿児島のさつま揚げはおいしかった。練り物は好きではないが、薬のような臭さがない。甘みと柔らかみはなんともいえない。これに芋焼酎はたまらない。
★沖縄・・・ゴーヤなど野菜や豚肉の料理は、たいへんおいしく、おなかにやさしい。
 重ね重ね、上記は、あくまで感じたところなので、どうかお許しください。以前は、出先で珍しいものを見つけると、すぐにまわりを誘って、入ってみたものです。ところが、からだが変化してきたのです。おいしいとされるものを食べても、トイレに行きたくなってしまうのです。かといって、おなかを下しているわけでもない。これは歳のせいもあろうかと思います。ただ、あまりにこんなことが続くので、食べたものとの関係をじぶんなりに調べてみました。ヒントになったのは藤田先生がお書きになった一連の著作でした。
トイレを決まって催すのは、総会のあとの懇親会、暑気払いや納会での焼き肉、チェーンのバーガーや牛丼、ファミレス、売れ筋とされるラーメン店でのあと。葬儀や法事の食事のあと。空港や駅やサービスエリアにある立ち食いみたいなところで食事したとき、コンビニ弁当、出向ばかりで外食が続くとき、コテコテやねっとりなどあきらかに味があわないものを食べたとき・・・
そうならないのは、顔なじみの洋食屋さんとお蕎麦屋さんでの食事、広済寺でじぶんやスタッフがつくるまかないめしのとき。
 わかったことは、缶詰・加工品・調味料・保存を維持するためのものが多く含まれるような、自然物でないものを大量に摂取したときは、からだが「ヘンなものが入ったから、出しとくね」とリジェクトしていることでした。いろんな場所に行きましたが、唯一、沖縄では、このリジェクトに悩まされなかったのです。沖縄は、食材が地産地消で新鮮だったからだと思います。ふだんから、食べ物に関心をもち、自らも食事をつくる習慣が、実はからだに自然浄化作用をつくっていたのです。
 住んでいる土地のものを食べるのが、からだに一番あっています。平塚で育った頃は、親戚からいただく須賀や大磯で水揚げされたアジやエボダイやしらす。叔母の豆腐や厚揚げ。あたりはまだまだ自然が残っていたので畑の野菜を食べていました。じぶんは関東の人間ですから、白いごはんと、肉、魚、野菜を使った気の利いたおかずがちょこん、ちょこんとあって、醤油味のきいたさっぱりしたものが好きなようです。

よくいう「グルメ」とは、おかねをかけて、レストランさんで食べることではありません。素材本来の味を知っていること。その鮮度や価値がわかること。おいしかったものは、味から逆算して、マネしてコピーをつくってみることをおすすめします。食べ物から、からだの変化を読み取ることができます。食とはじぶんのからだや自然との対話なのです。からだは食べた物でできています。私たちはキカイではない。生命体なのです。お粉や錠剤では、からだは維持できないのです。