新お坊さんの智恵袋

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ショート法話〜情報過多の時代を生きる

 毎日のようにおてらには郵便が届きます。お手紙というものは子供の頃は、待ち遠しかったものです。いまはほとんどがDMばかり。さらに、請求書なんかがあるとますます憂鬱になるばかりです。・・・いったいどこで調べたのか、DMは本当に熱心にやってきます。郵便のなかには、お檀家さんとのやりとりやご本山さんからの重要なものもあります。余計なものがある分、肝心な文書が埋もれます。DMは、その都度、不要の旨、添え状を起こし、現物を封を開けずに返送しています。そのかいあって、ことしは年初から10通程度に減らすことができました。
 郵便、電話、ケータイ、パソコンのメール、ケータイのメール、FAX。これだけでチャンネルは6つです。どなたかとやりとりする方法はあれど、操作するのはひとりです。わたしはここまでで抑えるようにしています。本当に伝えるには、生身の本人に会うことしかないのです。ここに、はやく気づいて欲しいと思います。
 インターネットが発達して、分厚い百科事典を紐解かなくても、いろんなことが即座にわかるようにはなりました。遠く離れた、かつての友達とも、SNSサイト上でやりとりすることもできます。が、果たして、幸福な世界になったかというと、そうではないと思うことばかりです。サイトを開けば、いろんなことを知る反面で、どれが正しい情報なのかわからなくなってきます。仲がいいときは、便利なツールも、ささいなことから、いさかいが起きれば、人間関係が詮索され、疑うようになってしまいます。じぶんはSNSサイトはやめてしまったし、これからもやることはないでしょう。
 新聞も購読しなくなってから、もう6年になります。たまに駅のキオスクで、日経や英字新聞を買うくらいです。テレビもデジタル移行を期に、やめてしまいました。テレビは出先でみるくらいです。人生の先達のみなさんからは、「まるで世捨て人じゃないか〜」と言われることもあります。新聞というのはおかしなもので、まちのスーパーなどのちらしが入っているのに、さらにおかねを払って、お買い物までさせられるしくみになっています。
 テレビはバラエティばかりで内容がおもしろいとは思えないし、途中に入るCMも、昔、地方のテレビ局でながれていたような画面の動かないCMも多いでしょう。民放と国営の境界も不透明。「受信料払ってまで、必要なものなのかなぁ」と思ってしまうのです。ニュースと天気は携帯電話で十分です。電車の遅延や地震速報、災害情報も入ってきます。車を運転しているときは、AFN。正しくききとれたかどうかは、携帯のニュースをチェックすれば、こたえあわせができます。こんな生活でも、不便を感じたことはありません。
 不要なものを外していくと、肝心なものはほとんどないのです。熱烈に欲しかったCDや書籍も飽きれば、ただのごみ。ならば、はじめからじぶんのものにしようと思わないことです。何度も引っ越しをしていると、転機というか天機が訪れます。「持ち物はいらないね〜」とじぶんから納得できるようになるからです.ネット文化が発達したので、仮に処分してしまったとしても、ほとんどの書籍や画像や映像や音声は、ネット上にありますから、じぶんなりにある程度までは復元ができるようになっています。
 欲しいと感じたもの手にする前に、人さまの目の前で口火を切る前に、「それってホントかなぁ」「口にしていいもんかなぁ」と立ち止まってみましょう。恵まれた時代ゆえ、欲を上手にコントロールすることが求められているように感じます。
古歌に曰く、「ものもたぬ こころは涼し 旅ころも」〜情報があふれきったいまの時代に、めざしたいライフスタイルです。

どうげん